コンペ開催に伴う臨時休業と営業時間変更のお知らせ

コンペまであと2週間を切りまして、少し緊張とワクワクが出てきているキロニコの福岡です。

まずはコンペ前後の臨時休業と営業時間の変更のお知らせです。

エントリーも少しずつ埋まってきました!出てみたい方はエントリーフォームか、店頭で直接出ることをお伝えくださいませ!

8/21現在
カジ アヤカ     キッズA
カジ アキヒサ   エキスパート
ベップ サトミ    ファン
カンベ ユウイチ  ミドル
カリアツマリ シノ ファン
カヨタニ ユウタ   キッズA
カヨタニ リツ    キッズB
スエナガ ハナ    ファン
マツウラ ツカサ  ミドル
イケバタ ユウタ  ファン
タケウチ トモキ  ファン
イチキ アキヒロ  ミドル
ヌマタ リュウ    ファン
シモジマ テッタ  ミドル
シモジマ ケイタ  キッズA
ヌマタ ナナ     キッズB
ヌマタ サラ     キッズA

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5周年コンペ エントリー最新

8/20現在までの5周年コンペエントリー参加者をアップ致します。

カジ アヤカ     キッズA
カジ アキヒサ   エキスパート
ベップサトミ    ファン
カンベユウイチ  ミドル
カリアツマリ シノ ファン
カヨタニユウタ   キッズA
カヨタニリツ    キッズB

どこのクラスで出るのか悩んでいる方もいらっしゃいますが、自分の普段のオンサイトグレードが目安ですかね。。

それか思い切ってライバルの出るカテゴリーと同じクラスで出るってのも燃えますね!

しばらく、キロニコではコンペはやってなかったので、久しぶりの本格的な大会ですのでお楽しみに!

エントリー締切は8月29日(日)まで。

エントリーは以下のフォームから申込お願いします。
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展望所

8/18 5:30 快晴、名づけた展望所いつも一服する場所である。

鹿児島湾が一望できる日石タンク群 毎日の様に4~50万トン級大型のタンカーが出入りしている。

入港を手助けする5隻のタグボートが沖合に停泊しているタンカーに向かって出てゆく光景、

下りの列車がカタコト、カタコト、踏み切り赤信号が点滅しながら通過して行く姿が小さく写り何ともいえな気分を味わえる場所である。

 

展望どころ

8/18 5:30

 快晴いつも立ち止まる展望処、見晴らがの良い

鹿児島湾、日石タンク群、 毎日の様に4~50万トン級大型のタンカーが出入りしている。

入港を誘導するタグボート5隻が沖合7~8㌔沖合に停泊しているタンカーに向かって出てゆく、

1.5㌔先の踏み切りは信号が点滅しカタコト、カタコト、下りの列車が通過のしている。野元の集落を見下ろす海抜80mところに立っている。

東の空は三日月、少し東寄りに明の明星・金星 月の下を何処へ飛んでゆくのか国際便であろう東の方向へ雲を引いて小さく消えてゆく。 

6:00直前に成ると大隅半島高隈山間に赤茶黄色に染まった綺麗な大きな旭が上って来る。 合唱、

数十秒だんだん金色のまぶしい光に変って来る。

今朝も早起きの勢で至福の時間を味わえた。

北東40㌔沖合いに桜島が薄い煙を吐いて座っている。 今日も快晴日和   H29・8・18

 

 

展望どころ

8/18 5:30

 快晴いつも立ち止まる展望処、見晴らがの良い

鹿児島湾、日石タンク群、 毎日の様に4~50万トン級大型のタンカーが出入りしている。

入港を誘導するタグボート5隻が7~8㌔沖合に停泊しているタンカーに向かって出てゆく、

1.5㌔先に踏み切りが見える信号は点滅しカタコ、カタコト下りの列車が通過のしているのが見える。ここは野元の集落を見下ろす≒海抜80m位置である。

東の空に三日月、少し東寄りに明の明星・金星 月の下を何処へ飛んでゆくのか国際便であろう東の方向へ雲を引いて小さく消えてゆく。 

6:00時前に成る大隅半島高隈山間に赤茶黄色に染まった綺麗な大きな旭が上って来た。

 合唱、数十秒だんだんまぶしい光に変って来る。

今朝も早起きの勢で至福の時間を味わえた。

北東40㌔沖合いに桜島が薄い煙を吐いて座っている。 今日も快晴日和の様だ   H29・8・18

 

 

5周年コンペ開催します!

こんにちは、お盆明けで体が火照ってるキロニコの福岡です。

突然ですが、キロニコでコンペ開催します!
今年でオープン5周年となりましたので、久しぶりにコンペ開催です!

日程は9月3日(日)です!
かなり急で、申し訳ございませんが、その日しか日程が取れず強引にします!

ローカルコンペですが、ちゃんとした大会開催しますので色んなクライマーが集まってくれたら楽しい時間を共有できるかなと思っています。

 
 
 

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お墓の掃除

お盆が来た。

8/10先祖が眠る墓の跡地を掃除をする。

昨年お寺の納骨堂に移し墓石は処分した。

今では先祖はきれいなマンション住まいの様なものだ墓地も沢山の人達が納骨堂へ引き越して

荒地の墓場が目立つようになった。

物心ついた頃から七夕が来ると墓場は大掃除で賑わい線香の煙が漂っていた。

廻りの人達が声を掛け合い掃除して居た墓場の光景が浮ぶ草払いし見違様に成った。

綺麗に成り先祖も喜んで居る事だろう。

隣の祖父のおじさん夫婦の墓も綺麗に掃除し線香をたき合唱礼拝して清々しい気分に成った一時であった。

墓石を見ると昭和24年10月24日没と刻んである。

医者をして居たおじさんである祖父に連れられ診療所に行った覚えがある。

葬式の事を思い出す4歳だこの場に埋葬された事を思い浮かべて粗末に出来ない気持ちである。 その時は畑だった。おばさんは昭和26年没と刻まれているこの時も埋葬にこの場に来た事も良く覚えている廻りは祖父が芋、陸稲を植え小さい頃は祖父連れられ良く来ていた場所でもある。今では

6家族の墓場に成っている。

親戚の皆さんが墓場としてもらった場所である。 だれかに墓参りをお願いとの気持ちがあっての事、 思うと粗末には出来ない盆、正月であるが自分が元気な内は見守ろうと思う。

皆高齢者になり自分が一番若い。喜んでくれていると思う。

今夜8/13は線香をあげ供養する。   8/13

 

 

 

 

お墓の掃除

お盆が来た。

8/10先祖が眠る墓の跡地を掃除をする。

昨年お寺の納骨堂に移し墓石は処分した。

今は先祖は綺麗なマンション生活に成ったが跡地が気掛りだろう。

沢山の人達が納骨堂へ引き越して荒地が目立つている。

物心ついた頃から七夕が来ると墓場は大掃除で賑わい線香の煙が漂っていた。

廻りの人達が声を掛け合い掃除して居た墓場の光景が浮ぶ草払いし見違る様に成った。

綺麗に成って父母、先祖が喜んで居る事様だ。

隣の蓑田のおじさん(祖父のおじさんと聞く)夫婦の墓も綺麗に掃除した。

線香をたき合唱礼拝して清々しい気分に成った。

墓石を見ると昭和24年10月24日没と刻んである。

軍医と聞く、かすかな記憶で祖父に連れられ診療所に行った面影が浮かぶ

墓石を見て葬式の事を思い出す埋葬される時の白い布で包んだ樽を穴の中に埋める様子が浮かんで来る。

その時ころは畑だった。祖父が陸稲、辛いも等を植えていた。

おばさんは昭和26年没と刻まれているこの時も埋葬にこの場に来た事も良く覚えている。

祖父連れられ良く来ていた場所である。

今は6家族の墓場に成っている。

親戚が蓑田のおじさんに墓地としてもらった場所である。 

だれかに墓参りお願いの気持ちがあっての事、 自分が身近に感ずる想いがする。

粗末には出来ない盆、正月で時々であるが

元気な内は見守ろうと思う。 

喜んでくれている様だ伝わって来る。

今夜8/13は線香をあげ供養する。   8/13

 

 

 

 

台風5号

九州に上陸の予報ピューピューと雨風の状態。

昨日は小屋の屋根の補強、住まいの瓦の飛来を防ぐコーキングでの接着等台風対策を済ませた。現場の養生は請け負い業者が済ませてくれた。

大きな災害にならぬ様願う気持ちだ。

数えきれないほど台風に見舞われた。

心に焼きつ付いた台風がある。6歳のとき

昭和26年10月(調べてみた)ルース台風、

おばあさんに連れられ近くの頑丈な石倉へ

明るい内に避難した当時は懐中電灯は無く

ローソクの明かりが頼りだった。

倉にはうすら覚えだが10人程がいたと想う。

姉と二人防空ズキンをかぶり、おばあさんはザブトン頭にのせ避難した事を想いだす。

倉の中でローソクの光で1晩すごした。

大変こわかった。

消防団のおじさんが時々様子を見に来てくれた。

外の様子をおばあさん達と話をしている。

大変な事に成っている事を子供ながら悟った。

台風が過ぎ外に出ると道路は屋根瓦が落ち

道路わきの木々が倒れ大変な状態だった。

海岸に出ると高潮でたくさんの家が流され皆

呆然としていた。

我が家の船は転覆し網小屋は波うちぎわに無残な姿、網やロープは壊れた堤防に巻き付き父母は

回収作業に必死だった時の光景が目に浮かぶ。

その後の復旧工事が始まる。

割り当てで毎日の様に父は海岸復旧作業に参加していた。 

当時の様な想いに成らない事を願う現在の自分である。      次回へ   8/5

 

 

台風5号

九州に上陸の予報ピューピューと雨風の状態。

昨日は小屋の屋根の補強、住まいの瓦の飛来を防ぐコーキングでの接着等台風対策を済ませた。現場の養生は請け負い業者が済ませてくれた。

大きな災害にならぬ様願う気持ちだ。

数えきれないほど台風に見舞われた。

心に焼きつ付いた台風がある。6歳のとき

昭和26年10月(調べてみた)ルース台風、

おばあさんに連れられ近くの頑丈な石倉へ

明るい内に避難した当時は懐中電灯は無く

ローソクの明かりが頼りだった。

倉にはうすら覚えだが10人程がいたと想う。

姉と二人防空ズキンをかぶり、おばあさんはザブトン頭にのせ避難した事を想いだす。

倉の中でローソクの光で1晩すごした。

大変こわかった。

消防団のおじさんが時々様子を見に来てくれた。

外の様子をおばあさん達と話をしている。

大変な事に成っている事を子供ながら悟った。

台風が過ぎ外に出ると道路は屋根瓦が落ち

道路わきの木々が倒れ大変な状態だった。

海岸に出ると高潮でたくさんの家が流され皆

呆然としていた。

我が家の船は転覆し網小屋は波うちぎわに無残な姿、網やロープは壊れた堤防に巻き付き父母は

回収作業に必死だった時の光景が目に浮かぶ。

その後の復旧工事が始まる。

割り当てで毎日の様に父は海岸復旧作業に参加していた。 

当時の様な想いに成らない事を願う現在の自分である。      次回へ   8/5